BACH

一次審査の後半からですが久しぶりに神戸国際フルートコンクールを聴きに来ました。予備審査を通過して世界中から神戸に集ったコンテスタント達のステージを楽しんでいます。昨日終わった一次の課題曲は①J.S.バッハ: フルートソナタロ短調、②カルク=エーレルト: フルートソナタ変ロ長調またはアンデルセン: 演奏会用小品 作品3。

②の選択曲は皆様素晴らしい演奏をされていました!が、バッハについてはいろいろ思う事がありました。
バッハの演奏は私が学生だった時代とはかなり違っています。「古楽」「古楽器」というものが広く知られるようになり、その影響だと思います。それは私達にとって新しい学びであり素晴らしい事でしたが、はたして全てが望ましい結果に繋がったのだろうか、とも思います。
私は大学時代に「副科トラヴェルソ」を履修して以来、モダンフルートと並行してトラヴェルソも長年演奏しています。トラヴェルソの音色、トラヴェルソ でなければできない音楽表現には大きな魅力を感じていますが、例えばバッハのソナタを演奏する時、古楽器(トラヴェルソ)で演奏する時とモダンフルートで演奏する時、同じようには演奏しません。根底は同じでも古楽器での表現、それに沿った奏法をモダンフルートに求め、あてはめる事に無理があると思うからです。「古楽風」の音色を求めた結果、モダンフルートの音としては不安定に聞こえたり、「古楽風」の演奏をしているはずが力が入るとついモダンフルートの顔が覗いて後から聞くと「あらら。。」となってしまったり。
演奏解釈は時代と共に変化しますし、いつの時代も演奏者、聴衆は「新しいもの」「他とは違うもの」に興味と意識が向きがちです。古楽の世界も古い時代の曲を「いかに新しく、自分の個性で聴かせるか」を考え、変化しています。昨日も「今はバッハにこの装飾が有りになったのか?」と驚く事がありました。

かつてフルート界には「ジャーマン•スクール」という「伝統」が存在していました。

その時代のジャーマン•スクールのフルート奏者が現在のフルート奏者の演奏するバッハを聞いたら何と思うのか、聞いてみたいなと思いました。モダンフルートにはモダンフルートでしか表現できない「普遍的で美しい」バッハの演奏があるのでは、と考える事がすでに時代遅れ?

一昨日、審査終了後にロビーで審査委員のある先生と「これだけ演奏が違うと審査が難しいですね」と立ち話をさせていただきました。「審査員も試される」と言っておられましたが演奏解釈という「個人の趣味•主観」を審査員の方々がどのようにジャッジするのか、コンクールは難しいと思いました。

おまけ。12月にバッハの録音をするのですが、モダンフルートの持つ楽器の美しさを損なわずに「普遍的な美しさ」を表現できるような演奏ができたらと思っています。
バッハ、古くて最も新しい、偉大な作曲家です。